Camino week3:神聖な時間 vol.2

My Journey

こんにちは,あさみんです。

私は,2022年8月にイギリス留学を終えた後,スペイン・カミーノ巡礼をしました。

カミーノは,約1,000年以上の歴史のあるキリスト教の巡礼の道であり,世界三大巡礼の1つです。

フランスとスペインの国境にあるサン・ジャン・ピエ・ド・ポーからサンティアゴ・デ・コンポステーラを結ぶ,最もポピュラーなフランス人の道(Camino Francés約780kmを歩きました。

その後,サンティアゴ・デ・コンポステーラからフィ二ステーラ,ムクシアまでを結ぶ,フィニステーラ・ムクシアの道(Camino de Fisterra y Muxía約120kmを歩きました。

約900km,29日間かけて歩く中で得た,気づきや学びの経験を,「心の探求」の視点からまとめてみました。

さぁ一緒に,心の山歩(さんぽ)に出かけましょう。

Day19:Ponferrada – Trabadelo (33.5km)

疲れとイライラ

今日は疲労で,BARの店員に会計を待たされるだけでイライラしてしまった。

BARで再会したコロンビア人の女の子が挨拶してくれたのに,私がそこを出発する時には何も言わずに出てしまった。

なんだかとても疲れていて,挨拶をする気力すら残っていなかった。

罪悪感が込み上がってくる。

歩きながら,少し冷静さを取り戻すと,こんな自分の弱さを受け入れていくことも大切だなって感じた。

その後,スペイン在住のコロンビア人の夫婦とその甥っ子の3人組と出会った。

心理学者の奥さん,ディベロッパーの旦那さんだった。

旦那さん自身はそろそろ身を引いて,娘さんが跡を継ぐらしい。

老後は、孫の面倒をみながら旅行を楽しみつつ,ゆっくり過ごしたいと言っていた。

スペインに移住してきた頃は,この土地が嫌になって,マイアミや他の国に逃げたこともあったんだって。

でも今は,マドリッドが1番良いと言っていた。

周りの人たちが,「カミーノ,カミーノ,カミーノ…」と事あるごとに言うので,今回,試しに3日間歩きに来たんだって。

旦那さんが歩きながら,この地域は白ワインが有名だとか,カミーノの「北の道」の出発点であるイルンの美しさなどを教えてくれた。

その後,20代後半の日本人女性アキヨさんと出会った。

広告代理店を退社して,カミーノを訪れていた。

NHKでカミーノが特集されていて,お母さんを亡くしたフランス人がカミーノを歩いていたことに影響されたんだって。

都会から一度離れて,3年前に亡くなったお母さんとのことをゆっくり見つめたかったと話していた。

端正な顔立ちの彼女は,凛とした中に芯の強さを持ち合わせていた。

韓国人の40代の男性ハンと出会った。

彼は以前は,政府NGOでコミュニティ開発に携わり,ウガンダに住んでいた。

奥さんのオランダ留学をきっかけに,退職して,奥さんについて来たんだって。

韓国人のハンもソンも,私よりも日本のアニメや映画に詳しい。

小さい頃からよく観ていたんだって。

ソンに,私は「となりのトトロ」のメイちゃんみたいだと言われた。

メイちゃんがミニトトロを追いかけているシーンが,私がカミーノを歩く姿と重なったらしい。

確かに,ちょこちょこと歩いている私がいる。

なんか面白いなぁと思いつつ,妙に納得する私がいた。

みんなと話している間に,私はすっかり元気になった。

Day20:Trabadelo – Fonfria (30.3km)

自分の弱さ

薄暗い中,朝から雨の中を1人で歩いた。

恐さというよりも,私はこの装備と体調で今日1日を乗り越えられるのかという,不安の方が大きかった。

昨日から,右脚のスネが痛む。

明らかにオーバーワークで,しっかりと休息を取る必要があることも分かっている。

足が動かなくなれば,フィニステーラまで行けない。

サンディアゴに到着する前にドロップアウトする可能性だってある。

ソンやDD達と一緒にサンディアゴに辿り着きたい気持ちとの間で,私の心は揺れていた。

そのくらい,私にとって彼らの存在が大きくなっていた。

今は,歩くスピードを落としつつ、できる限りのセルフケアをしながら少し様子を見ることにした。

人生においてもオーバーワークしがちな私。

フルタイムで働きながら,社会人大学院に通っていた頃,常に120%で走り続けていた。

40°超えの高熱,円形脱毛症となってストレスが体に現れても,自分をケアすることができなかった。

周りの人たちの方が,心配してしまうくらいだった。

無理をする裏側には,周りから強いと思われたい,弱さを隠したい私がいた。

「女だから…」,「若いから…」って枕詞をつけられるのが嫌だった。

だから,男性と同じように,先輩たちと同じように…それ以上に,強くなくちゃいけないと思い込んでいた。

でも,ジェンダーの差を誰よりも意識していたのは,実は私だったことに気づく。

今は,完全に歩みを止めることも,全力で歩き続けることも,心と身体が腑に落ちない。

今は,体力を温存しながら,一歩ずつ進み続ける。

100かゼロで生きてきた私にとって,50%もしくは30%くらいまでスピードを落としながら…でも,一歩ずつ進む。

そんな風に,緩急をつけるトレーニングに思えた。

こんな時に,ふと立ち寄って食べたトルティーヤがものすごく美味しい。

そして,またもや私は,私のカミーノの見失っていたことに気づいた。

私は,完璧な人間じゃない。

同じ失敗を繰り返す。

弱い自分もたくさんいる。

完璧じゃないから,人との関わりに大きな価値を感じる。

完璧じゃないから,人間味があっておもしろい。

成長の余地しかないじゃん。

そして,失敗したら,そこからまた立て直せば良いんだよ。

ガリシアに入ったら,急に季節が秋になった。

黄色や赤に色づく葉や木々が目に留まった。

どうか今日も無事に,歩き続けることができますように。

Day21:Fonfria – Sarria (34.7km)

不思議な出会い

天候はくもり,月も少し顔を見せてくれている。

山々を見ながら,ここには何もないけど全てがある…そんな気分になった。

そして、私はやっぱり山が好きだ。

道中,ジーンズとポロシャツ姿にトレッキングシューズを履いて,水色の傘と杖のみを持って歩くシニアと出会った。

明らかに,巡礼者ではない。

恐らく地元の人なのだろうけど,この山道には明らかに不釣り合いな格好だった。

でも彼は,とても健脚だった。

恐らくスペイン語で,「スペイン語は話せるか?イタリア語は?フランス語は?」と聞かれた。

全てにノーである私との会話をすぐに諦めて,彼はスタスタと歩いていくだろうと思っていた。

私には,彼を抜かして歩くほどの体力は残っていなかったから,ゆっくりマイペースに歩く。

結局,言葉の通じない私たちは2人きりで一緒に歩いた。

正直,コミュニケーションが成立していたのかはわからない。

…コミュニケーションとは,なんだろう?

日常では,私たちは,言葉に頼っている。

「英語が話せないから」を決まり文句にして,海外の方とのコミュニケーションを避ける傾向がある。

以前の私は,そうだった。

実際に,私の目の前を通り過ぎていったイタリア人は,私が,英語しか話せないと伝えると,会話を諦めた。

シニアの男性は,この土地で生まれて育ち,現在はバルセロナに住んでいる。

彼が,幼少期に通った小学校は,今はアルベルケになっている。

彼の育った小さな村には,今は1人しか住人はいない。

丘の下に見える,教会を傘で指しながら,「あそこに母親のお墓があるんだ」と教えてくれる。

現在のカミーノの道を歩きながら,「雑草の生い茂るあの道は,かつてアスファルトのない時代のカミーノの道だよ」と教えてくれる。

言葉の通じない私に,ボディランゲージを使いながら,この土地の今と昔について,彼の生い立ちについて,一生懸命に伝えようとしてくれる。

歩くペースが同じ…いや,彼が私に合わせてくれたから,無理なく歩き続けられた。

他の巡礼者は,彼に軽く挨拶をして,すぐに歩き去っていった。

私にも,その選択肢があった。

でも,わずか1時間程度だったけど,彼と過ごした時間は,何だかとても貴重なものに思えた。

「日本に帰らずにスペインに住んだら良いのに」と言われた。

スペインは大好きだけど,言葉が分からないし,仕事がないし…と笑いながら英語で答える。

最後は,チークキスをして別れた。

彼は,私に案内をしながら,彼の幼少期の思い出を辿っていたのだと思う。

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