こんにちは,あさみんです。
私は,2023年は「自由な発想で,旅と学びと暮らしを模索する」をテーマに日々を生きています。
偶然にも,一粒万倍日,天赦日,寅の日が重なる最強開運日といわれる,春分の日に,約5ヶ月間の北海道での実家暮らしに区切りをつけて,新たな旅に出ます。
この記事では,約3週間のイギリス・ハンガリーの旅で得た,気づきや学びの経験を,「心の探求」の視点からまとめてみました。
さぁ一緒に,心の山歩(さんぽ)に出かけましょう。
無限の可能性
5ヶ月間の北海道滞在の最終日は,両親・姪っ子と温泉に行き,夜は出前を取って,ちらし寿司を食べた。
自由奔放な私を温かく迎えてくれて,そして新たな門出をお祝いしてくれる家族には,心からありがとうの気持ちでいっぱいだった。
そして,出発の朝
またこの地へ戻ってくるだろうと思っていても,やっぱり別れって淋しいものだ。
空港の出発ゲートでハグをして,「またね」と声をかけ合って,別れる。
義理の妹が,心温まるメッセージをくれた。
今まで2人きりでゆっくりと話したことはなかったけれど,手紙のやり取りによって,お互いの気持ちが通じ合った感覚がある。
この機会がなかったら,仲が深まるのはもっと先になっていたかもしれない。
そう考えたら,純粋に嬉しい。
高校の親友たちが,旅立つ私に家族総出のメッセージ動画を作ってくれた。
何度も,何度も観た…人目を憚らず,笑って,泣いて,ずっと感情が騒がしい。
本当に,一生の宝物を与えてもらった。
1人1人がリソースフルで,何だろう…,人間ってすごい。
そして,心の底から美しいと思った。
個々の強み・才能が最大限に発揮された時,ヒト無限の可能性をみた。
誰1人欠けても完成することのなかったこの作品に,感動を覚える。
創ってくれた親友たちですら,想像以上の出来上がりに,驚きそして感動していた。
改めてこの5ヶ月間,私は大切な人たちに,とてつもなく大きなパワーをもらっていたことに気づく。
ふと,私は,みんなのために何ができているのだろう。
私にできること,まだまだたくさんあるはず。
私自身の無限の可能性を信じて,しっかりと一歩ずつ前に進もう。
私の故郷
私は,人口1,600人の小さな山あいの村で育った。
小学校の同級生は,私を含めて4人だった。
6年間ずっと複学級,もちろんクラス替えなんてないし,席替えをしても何も変わらない。
いつも顔馴染みのメンバーだった。
高学年になると,その環境に退屈さ・窮屈さを感じた。
何をするにも不便
隣町に買い物に行くのに車で40分
コンビニまで車で15分
バスは1時間に1本
私は,閉ざされた小さな世界に住む,名前も与えられていない脇役の村人A
…当時の私は,そんな風に感じていた。
思春期になると,地黒の肌にコンプレックスを感じるようになった。
肌の黒さを指摘されることも嫌だったし,写真や鏡に映る自分も嫌いだった。
中学生になっても情緒不安定なままだった。
常にイライラする,でもその感情をどうしたら良いのか分からない。
その矛先は,一番身近な家族に向かった。
兄妹とはケンカが絶えなかったし,両親にも反抗してばっかりだった。
高校の進路を決める時,「家を出て自由になりたい」っていう気持ちが人一倍に強かった。
そして私は,家から遠く離れた,より都会の学校を選び,知り合いが誰もいない場所で,ゼロからのスタートを選んだ。
でも環境を変えてみても,私自身は何も変わっていないから,苦しかった。
そして,より大きなコミュニティに身を置いてみると,劣等感をより強く感じるようになった。
キラキラした人たちに羨ましさを感じた。
真似をして化粧をしたり,制服のスカートを短くしたり…無理して,頑張っている私がいた。
常に人の目を気にしていた。
「都会に住む同級生と,何も無い村から出てきた私」…その差が,コンプレックスだった。
部活も途中で辞めてしまった私には,何もなかった。
だから,私が私であるために,勉強だけは頑張った。
「何かしら資格は取っておいた方が良い」,「勉強は,頑張っておいた方が将来に役立つ」って,お母さんがよく口にしていた。
将来,何をしたいのかよく分からなかったけど,その言葉だけは,常に頭のどこかにあった。
そして,私のわがままを何も言わずに聞いてくれた両親に,「私は,頑張っているよ」って伝えるために,一番わかりやすいのが成績だと思っていた。
だから,常にトップクラスの成績をキープした。
そんな生活も悪くはなかった。
だけど,高校3年の時に出会った親友たち,当時付き合っていた彼のおかげで,私の生活は彩り豊かなものになっていたんだなぁ…。
わがままで,プライドの高い私を否定することなく,大きな器で温かく受け入れてくれた。
そして,私の努力家な性格もしっかりとみてくれて,応援してくれた。
でも当時の私には,そのありがたさをきちんと理解できていなかった。
大学は,「安定」で薬学部への進学を決めた。
就職先も,そこにちょっとの好奇心が入っただけで,志望理由はあまり変わらなかった。
その間に小学校は閉校,市町村合併で私が育った村はなくなった。
両親も,幼少期に過ごした場所から引っ越した。
大学もキャンパス移転とともに,名前が変わった。
そんな背景からか,私には「故郷」と思える場所がなかった。
実家に帰っても,何となく落ち着かなかった。
何か理由をつけて,帰らないことも多かった。
仙台・東京での1人暮らしの家,その地域に対しても,何の愛着も感じなかった。
もっと都会へ,もっと出世して,もっとお金を稼いで,もっと贅沢をして…
そんな生活が手に入って行っても,モノに溢れても,私が心から求める「何か」は手に入らなかった。
むしろ,一般的に価値が置かれるモノを手に入れるたびに,本当に大切なものを失っていった。
過去の浄化
12年間の会社員生活に区切りを打って,イギリス留学をした。
渡英までの1ヶ月間,約20年ぶりに実家で両親と暮らした。
あの1ヶ月間は,止まっていた大きな古時計を,ゆっくりと動かし始めるような…そんな時間だった。
帰国後のこの5ヶ月間は,学生時代の私には処理することができなかった感情と正面から向き合う時間となった。
心の奥底に蓋をして,そっと閉まっておいたものを,1つ1つ丁寧に手にとって,抱きしめて自分の中に受け入れていく…そんな時間だった。
時には,散歩して自分と対話をしながら
時には,家族や親友たちと対話をしながら
時には,コーチングの力を借りながら
時には,海や山と対話をしながら
そうやって,私のどちらかというとネガティブな過去の記憶が,少しずつポジティブなものに置き換わっていった。
私がこのテーマを乗り越えるためには,長い時間とたくさんの人の支えが必要だった。
流れに逆らうことなく,自然に身を任せてみたら,それらを乗り越えるために必要なご縁がたくさんあった。
そして,どのご縁も奇跡といってもおかしくないものばかりだった。
もちろん,全てをクリアできたわけではない。
まだ,時間が必要なものもある。
それは,その時が来るまで,置いておこう…そんな心の余裕ができた。
また過去を浄化するだけでなく,大切な人たちと一緒に,最高の笑顔でたくさんの経験を共有しながら,新たな思い出を創造していく時間でもあった。
帰る場所がある,帰りたい場所がある,帰りを待ってくれている人たちがいる
…なんて幸せなことなのだろう。
今は,はっきりと自信を持って言える,ここが私の故郷。
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